東京大学未来ビジョン研究センターと三井不動産東大ラボが共催するシンポジウム「AI分野における大学を核としたスタートアップ集積-東京本郷とカナダトロントの比較-」を、2022年2月28日に開催しました。
■イントロダクション
渡部 俊也 (東京大学未来ビジョン研究センター教授・副センター長)
シンポジウムの幕開けとして、東京大学未来ビジョン研究センター教授・副センター長渡部俊也氏が登壇しました。
本郷エリアは、東大本郷キャンパスを核としてAIスタートアップ企業の集積が進み、「本郷バレー」と呼ばれています。
東京大学関連のスタートアップは約450社の規模に上り、IPO(株式公開)を実施した企業が25社、時価総額は2兆円を越え、100社以上の集積が生まれています。
渡部氏は経営学、イノベーションの観点からスタートアップに関して研究し、ネットワーク、つまり「人的なつながり」から得られる経営資源が重要であることを明らかにしました。
本郷バレーはそのような経営資源が有効活用された事例と言えます。
■対談:本郷(トロント)とAI研究
松尾 豊 (東京大学大学院工学系研究科 教授)
Shane Gu (Google LLC Google Brain, Senior Research Scientist、東京大学未来ビジョン客員准教授)
本郷バレーのAI研究第一人者である松尾豊氏、そして近年のAIの最重要技術となったディープラーニングの祖であるヒントン教授に薫陶を受けたShane Gu氏による対談が行われました。
司会は福嶋路氏 (東北大学大学院経済学研究科 教授)に務めていただきました。
松尾氏は、2015年と早い時期に東京大学でディープラーニングの基礎講座を開始しています。
受講者は年々増え、今では年間2000人以上の学生や社会人にディープラーニングなどの講義を提供しており、この講義からは大勢のAI人材が輩出されています。
教育と並行して、松尾氏はスタートアップ企業のネットワークも生み出しています。
松尾氏の下で学んだ学生らの中から、多くのスタートアップが誕生。
なかでもPKSHA technology、Gunosyの2社は上場を果たしました。
多くのAIスタートアップ企業の誕生に関わってきた松尾氏は、「今の日本では起業を選択肢に入れない方が変だ」と述べました。
日本の大企業を顧客とするAI関連の受託開発は「むしろ確実に売上げを立てられるビジネスである」とのこと。
きちんとした水準のデジタル技術やAIを適正な価格で提供し、顧客指向で大企業と一緒に作れるスタートアップであれば、必ず需要があるとの考えを示しました。
また、組織構造、デジタル人材、ITベンダーなどの日本が抱える「歪み」について説明しました。
「少子高齢化によりコストの高いベテラン層が大企業に多く所属しているにもかかわらず、組織で重要とされるAI・デジタルを提供できる人材は若手のため担い手が非常に少ない。
また、大企業は社内のデジタル人材への給与は低いものの、プロジェクトとなると多額の資金を充てる。
このような歪んだ構造により日本ではスタートアップが高い確率で成功する可能性がある。逆に言うと、こうした事情があるので、国内と海外ではスタートアップの「種目」が異なり、日本で成功してもそのまま海外にいけない一つの原因である」と指摘しました。
Gu氏は、英語に関心がない、ITやAIに関心がない、PhD(博士号取得者)に関心がない」とコメントしました。
「ITやAIは海外では新たな大企業を産み続けているのに対して、日本では社会全体からの重要視が“まだ”弱い。最先端研究の訓練を積んだPhDは海外では重宝されているのに対して、日本では収入や雇用条件が悪い。これらと英語の欠如により日本の人材と世界のトップAI人材には交流がほぼ無い、故にITやAIの後進国に成ったと“実感”すらできない。
カナダ、アメリカ、イギリスはもちろん、ドイツ、中国、インドがなぜ人材勝負で何故勝ち続けているのかは自国のトップ技術人材と世界のトップ技術人材が常に効率よく英語で交流し、お互いに高め合える環境を作っているからです。
日本はGDP世界3位、治安も良く住みやすく、高校までの基礎教育も強く、しかしこの3点に社会が無関心なのはもったいないことだ」は述べました。
司会の福嶋氏は松尾氏に「どうやって起業する学生を増やしていったのか」と問いかけました。
松尾氏は「初期には、よく最初は学生をシリコンバレーに連れて行き、向こうの雰囲気に触れてもらっていた」と語ります。
熱気が「感染」していく環境を作ることが大事だと松尾氏は言います。
松尾氏によれば、この分野の潜在的な需要を考えると、AIスタートアップにとって日本市場はブルーオーシャン(競争相手が少なくビジネスを伸ばしやすい環境)です。
AIを学んだ日本の若い優秀な世代にとって、日本で起業して創業者利益を得ることはひとつの良い選択肢になります。
この松尾氏の意見にGu氏も同意を示しました。
「海外では世界コンペ優勝者、世界一のラボの卒業生、世界的に有名な論文の共同著者などの人材が自らCEOとして起業しているのに対し、日本では人材不足のため、まだ学部や修士でも十分価値のある事業を産めるはず」とGu氏は説明しました。
松尾氏は「エコシステムの発展は指数関数的に進む」と語ります。
つまり、年率数十%といった成長を毎年続けていくことで、複利が効いてきて、最初は小規模だとしてもいずれ世界の拠点に追いつけるかもしれないというのです。
そのためには「余計なことをしないこと」、つまり、若い人の成長や挑戦を邪魔したり、スタートアップがフェアに戦えない環境にしてしまうなどおかしなことをせず、才能が自然に伸びられるようにしていくことが大事だと松尾氏は強調しました。
■本郷周辺におけるスタートアップ・エコシステムの現状
丸山 裕貴 (三井不動産ソリューションパートナー本部 産学連携推進部 主事)
講演者の丸山氏は、渡部俊也氏の研究室に出向して2年半の研究生活を送り、論文「『本郷バレー』はなぜ生まれたか」の執筆に関わりました。
丸山氏は、論文を題材に「なぜ本郷エリアにスタートアップが集積しているのか」を述べました。
重要な要素として、知識やアドバイスや人的ネットワークを提供する大学教員との近さ、学生アルバイトの受け入れやすさ、都心部との交通アクセスの良さなどを挙げました。
丸山氏は「集積が集積を生む好循環こそが本郷バレー集積形成の要因」と締めくくりました。
■トロントの再開発にみる集積のポイントと課題
西方 祥平 (東京大学未来ビジョン研究センター 受託研究員)
AI研究は、研究者どうしが必ずしも顔を合わせなくても進めることができます。
しかし、トロントや本郷では狭い地域に多数のAIスタートアップが集まっています。
このような集積が起きる理由はある種の「場」が存在するからだと、講演者の西方氏は指摘します。
大学の教員、学生、それにスタートアップ企業の人々がひとつのエリアに集まることで、人的ネットワークの相互作用が起きやすくなるのです。
トロントでは、イノベーション推進を目的とした設備や都市開発の取り組みが進んでいます。
具体例として、西方氏は複合開発のMaRS Discovery District、研究施設のVector Institute、さらにAIを含めた高度なテクノロジーとコミュニティの融合を企図した事例としてアルファベット(Google持ち株会社)の子会社であるSidewalk Labsが計画した「IDEA」Projectについて紹介しました。
■パネル討論:AI研究と事業による集積:本郷への当てはめと仮説
【モデレーター】
渡部 俊也 (東京大学未来ビジョン研究センター教授・副センター長)
【パネリスト】
曽我部 完 (株式会社グリッド 代表取締役社長)
田中 和哉 (scheme verge株式会社 取締役CSO/一般社団法人HONGO AI ディレクター)
福嶋 路 (東北大学大学院経済学研究科 教授)
本郷エリアのスタートアップ企業に関わる起業家と、経営学に取り組むアカデミアの研究者が語り合うパネル討論が行われました。
福嶋氏は、研究者の立場から、米国のサンディエゴやオースティンのような複数の都市の企業集積のプロセスの研究をもとに、「スタートアップの集積ではインターミディアリーな(媒介となる)存在が重要だ」と指摘しました。
インターメディアリーの「つなぐ」「異分野をミックスする」という機能が重要であるというのです。
田中氏は、日本では福嶋氏が指摘する「インターミディアリー」のように、分野や組織を越える取り組みが「阻害されている」事例が多いと見ています。
その打破に取り組む一環として、田中氏らが取り組むスタートアップ支援の取り組みHONGO AIも、組織を越えた活動が必要という問題意識から始まっています。
曽我部氏は、事業としてインフラ分野のAI適用を推進するだけでなく、AIと社会の関わりのルール形成であるAIガバナンスにも取り組んでいます。
「技術だけでなく、ガバナンス、技術と人と関わる部分と両立できるようにしたい」とその重要性を強調しました。
続けて福嶋氏は「対面の話し合い」の重要性に触れました。
ビデオ会議を使えば離れた場所でも一緒に仕事はできる時代ですが、AIスタートアップ企業が集積する様子を見ていると「人と人の対面の話し合いは重要ではないか」と指摘しました。
モデレーターの渡部氏もこの論点に注目し、「トロント大学の研究室は人と人が密に対話をしている」と指摘します。
パネリストの曽我部氏も「目的を持たない会話は必要だと痛切に思います」と同意しました。
パネル討論の最後に、福嶋氏は、本郷バレーとトロントのような他のAIスタートアップ集積地との国際比較を進めたいと語りました。
そして、オースティンなどの地域が行っているように、「スタートアップマップ」を作り配布するといったような集積を外部にPRする戦略が重要ではないかと指摘しました。
シンポジウムの最後のまとめとして、渡部氏は「次回のシンポジウムではトロントのような海外と結んで実施したい」と語りました。
AIスタートアップが集積する本郷バレーでは、分野や組織を越えた人と人の交流が若い起業家らに活力を与えており、さらにトロントのような別のAIスタートアップ集積との連携への期待も高まっていることが伝わるシンポジウムとなりました。